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『アウターワールド』 (Another World)の感想・レビュー ゲームとアート

先日、ニンテンドースイッチで『アウターワールド』 (Another World)をやってみたので、
その感想・レビューをまとめる。

ec.nintendo.com


また、ゲームとアートの関係についても考えてみる。

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どんなゲーム?


アウターワールド』 (Another World) は、1991年に発売されたアクションアドベンチャーゲーム
ポリゴングラフィックによる映像で、テキストやセリフによる説明がほとんど行われずに進んでいく異世界での冒険を体験できるゲームである。

 

操作は、「歩く」、「走る」、「ジャンプする」、「蹴る」、「銃を撃つ」、「しゃがむ」だけの非常にシンプルなものである。

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当時はまだ珍しかったポリゴンによる表現と
場面によって挿入される音楽演出で全てを表現している。

スクリーンショットはHDグラフィックのもの)

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テキストやヒントはなく、ステージの構成や背景演出を観察しながらステージをクリアしていく解決法を探る。

 

ニンテンドースイッチ版では、

オリジナル版と現代風のHDグラフィックが選択可能であり、
異なる3つのゲームモード
 ■ビギナー(オリジナル版よりも優しいモード)
 ■ノーマル(オリジナル版と同等の難易度)
 ■ハード(オリジナル版よりも難しいモード)

が楽しめる。

価格は1080円。

 

どこがスゴイの?

 

多くのクリエーターの心をつかんでいること。

 

なぜ多くのクリエーターの心をつかんでいるのか

国内ゲームクリエイターである小島秀夫氏は『大好きなゲーム』として本作を挙げ、
上田文人氏は『ICO』(2001年)において本作の強い影響を受けたという。

 

上田氏は、この作品を見て、

単なる背景で、それが動いているだけかと思ったら、世界に奥行きがあって、ちゃんと(物語的な)整合性があったというところで、本当にノックアウト

と述べており、

「モニターの向こうに世界がある」感覚に衝撃を受けた。

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そもそも、『アウターワールド』は
フランス出身のエリック・シャイ氏が24歳の時に制作された。
さらに、制作のほぼすべてを単独で行ったのだ。

 

開発にあたっては、ストーリーの結末も決めず、
即興的に作ったそうである

 

『ルールを変える思考法』
という本の中に
「コンテンツとは、わかりそうで、わからないものある」
という考え方がある。

そもそも、わからないものをわかろうとする機能は、生存に必要である。
人間の進化の過程を考えると、
たとえば、初めて見る植物や果物に興味を持って食べる・食べないによって、
人間の生存確率は大きく違ったのではないか。


自分にとって理解の限度を超えたもの、全く理解できないものに対しては、
関係ないと思い、関心をなくす。
また、自分にとって理解が十分できるものについても、
危険でないので、関心をなくす。

一方で、微妙なもの、つまり「わかりそうで、わからないもの」は
自分の中で気にかけておかなければならない。

そうなると、次に遭遇した時に、「以前に遭遇したものと同じだ」と判断し、
わからないものを徐々に理解していく。

「わかりそうで、わからないものに興味を持つ」という本能を進化の過程で獲得したことが、コンテンツに引かれる根源だという仮説だ。

 

「わかりそうで、わからないもの」を作るためには、
みんながやっていることをやっていてはダメだ。
また、自分が理解できることでやってはダメかもしれない。
なぜなら自分が理解できるものは、誰にも理解できる可能性が高いからである。

 

では、どうすればよいか。


それは、自分でもわからないものであれば、それが独自性になる。

 

「それならば、めちゃくちゃなことがいいのか」と思うかもしれない。
しかし、そうではない。


理解できそうで理解できないギリギリの境界線上に答えがあるのだ。

 

きちんと説明できないが、正しいと自分が思うこと。
説明できないけど、素晴らしいものを作ること。
それが独自性につながり、創り上げたものをコンテンツとして成り立たせる。

 

エリック・シャイ氏は
アウターワールド』をその場その場で、自分の感性を信じて、
きちんと言葉では説明はできないが
自分の中で正しいと思うものを作り上げることに
成功したのではないかと考えられる。

 

 

気になったポイントは?

解法は一つ

製作者が意図しない行動をすると即ゲームオーバー。
ひらすら考えてトライ&エラーでやるしかない。
こうやっても解けるといったヒントを示す配慮が一切ない。

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解法の手順を間違ったらその場でわかれば良いが、
周りの状況を観察することでしか、ヒントを得ることができない。
そういう面でかなりシビア・厳しいゲームになっている。

 

ちなみに、製作者が意図しない行動をすると即ゲームオーバーになることについて、
エリック・シャイ氏は次のように語っている。

一番の目的は、そうすることによって、脅威のある世界を作りたかったんです。脅威をあらわすには、さまざまな死に方を用意するのがいい方法でした。

ゲームはアート?

2013年2月15日に行われた、エリック・シャイ氏、上田文人氏、水口哲也氏、そしてイラストレーターの寺田克也氏らが対談するトークイベント“ビデオゲーム:今世紀の芸術といえるのだろうか?”がヒントになると思う。

ゲームは芸術か? 『アウターワールド』のエリック・シャイ氏×上田文人氏×水口哲也氏×寺田克也氏という豪華対談をリポート! - ファミ通.com

 

その中で、アートを作ろうとしてゲーム開発をしているわけではないということを述べている。

 

そもそも、アートとは何かということについて、

新たな視点を与え、それまで見えなかった側面を明らかにしてくれるもの、新たな知覚を得られるもの

とこの講演では語っている。

 

そして、それは芸術としての評価が文化や時代によって変化すること、さらに主観的な判断でもあるという。

例えば、浮世絵は、描かれた当時と今の評価を比べると全く違うものであるし、
印象派の画家が浮世絵を高く評価したように、誰が見るかによっても評価は変わっている。

 

ゲームがアートとしてどんな本質があるかという問いに対して、
エリック・シャイ氏は2つのポイントを挙げている。

 

ひとつは、インタラクティブなメディアであるということ。
物語に没入して、役者のように中に入り込むことができる。

 

もうひとつは、さまざまなものを表現できること。
ひとつのできごとをさまざまな側面から描くことができ、
非常に幅広い描写が可能である。
たとえば、『ICO』では本当に女の子と手を繋いでいるかのように、
他のメディアではできない、深い関係を体感できる。
ビデオゲームが優れている点はそこにある。

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ビデオゲームはツールやテクノロジーが進化している。
新しいツールやテクノロジーの下で、
新しい感覚、まったく見たことのないものを生み出す可能性に期待している。

 

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